腫瘍と5年4ヶ月も闘い14歳半で旅立って行ったエルの記録。写真の一枚一枚に思い出がいっぱい。一枚の写真から改めて思うことも多い。今はすべてが懐かしく愛おしいです。(ブログのタイトルは斉藤和義さんが「幸福な朝食、退屈な夕食」で歌っている一節です)
病院なのにリラックスしたお顔ですね。目の前にイエロードッグさんがいるからでしょうね。葉月は病院でもどこでも平気で笑っている子でしたが、ジャズは、恐がりで片時も私たちと離れるのがだめでした。強度の不安症で、一晩病院で過ごしただけでも、顔が憔悴していました。ジャズが誤飲した時は一番長い入院でしたが、毎日見舞いに行くたびに、今日は一緒に帰るよと言ってケージに入りたがらず、私たちの顔が見えなくなっても、当分鳴く声が聞こえて切なかったですね。エルちゃんも、一緒に帰りたいと鳴いていましたか?
>Mary Ppmさん病院で僕も一緒なら平気です。預けられるのを警戒してました。診察室では僕の横でドアに近い方に陣取っていつでも逃げられる逃げられる体制でいました(笑)先生が「じゃお預かりします」と言うとさっと立ち上がって、「じゃエルは帰ります」と退散しようとして笑われてました。最初の手術で入院したのが堪えたみたいです。その2週間後に輸血でまた入院になりますが、ドアの細いガラス部から僕を見つめワンワンと訴えてました。帰るに帰れず病院を出てからしばらく近くを彷徨ってました。ジャズちゃんも大変な危機を乗り越えて来ましたね。病院→家に帰れない→だから嫌いになっちゃうんでしょう。
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2 件のコメント:
病院なのにリラックスしたお顔ですね。
目の前にイエロードッグさんがいるからでしょうね。
葉月は病院でもどこでも平気で笑っている子でしたが、
ジャズは、恐がりで片時も私たちと離れるのがだめでした。
強度の不安症で、一晩病院で過ごしただけでも、顔が憔悴していました。
ジャズが誤飲した時は一番長い入院でしたが、毎日見舞いに行くたびに、
今日は一緒に帰るよと言ってケージに入りたがらず、
私たちの顔が見えなくなっても、当分鳴く声が聞こえて切なかったですね。
エルちゃんも、一緒に帰りたいと鳴いていましたか?
>Mary Ppmさん
病院で僕も一緒なら平気です。
預けられるのを警戒してました。
診察室では僕の横でドアに近い方に陣取っていつでも逃げられる
逃げられる体制でいました(笑)
先生が「じゃお預かりします」と言うとさっと立ち上がって、
「じゃエルは帰ります」と退散しようとして笑われてました。
最初の手術で入院したのが堪えたみたいです。
その2週間後に輸血でまた入院になりますが、ドアの細いガラス
部から僕を見つめワンワンと訴えてました。
帰るに帰れず病院を出てからしばらく近くを彷徨ってました。
ジャズちゃんも大変な危機を乗り越えて来ましたね。
病院→家に帰れない→だから嫌いになっちゃうんでしょう。
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