2014年12月20日土曜日

クリスマスツリーに願いを込めて。

撮影日時:2008年12月13日土曜日 10:47 エル9才(闘病1年目)




日本動物高度医療センターのロビーで。

2週間前にここで初めて血液を採取してT細胞を培養して増殖。
この日が1回目の活性リンパ球療法だった。


手術、放射線、半年間の抗がん剤を終えて新しい治療に踏み切った所だ。
できるだけのことをやろう。不安の中に希望の光があった。

この年の2月にエルの腫瘍が発覚した時。
「エルと一緒にクリスマスを迎えられないのかな」とつぶやいたら、エルママ
が首を横にふって「そんなこと言っちゃだめ!」と強い口調で僕を諌めた。


結局エルは5年4ヶ月も生きてくれた。
腫瘍と闘いながらクリスマスを5回迎えることができた。

活性リンパ球療法は3年半で56回。病院で最長かつ最多記録だそうだ。
エルの主治医は、5年以上も延命できたのはこのおかげと言っている。

4 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

ここからエルちゃんの闘病が始まったのですね。
辛かったことでしょうが、イエロードッグさんの愛情に応えて、
良く頑張ってくれましたね。
辛い中でも、あどけなさを忘れず健気に生きてくれた5年4か月は、
濃厚な日々でしたね。
わんこは、辛さを人にあたることもなく、ひとりで受け止めて消化して、
ほんとに偉いと思います。
葉月の場合も、ジャズの場合も、自力で耐えてくれていました。
エルちゃんも良く耐えてイエロードッグさんと生きてくれたと思います。

イエロードッグ さんのコメント...

>Mary Ppmさん

闘病が始まったのはこの10ヶ月前です。
最初の手術の後、4回の放射線治療と15回の抗がん剤治療を終えて、
次ステップとして活性リンパ球療法を始めたところでした。
この時期まで待ったのは抗がん剤の副作用による免疫抑制が終わって
からの方がいいだろう、という判断でした。
maryppmさんとお会いしたのは抗がん剤治療15回目の直後ですから
この写真の3週間前ですね。

この頃は僕もエルもまだ元気でした。
心配の連続でしたが二人でいっぱい歩いてよく笑ってた時期です。

この2週間後、鼠蹊部に痼りが見つかります。
この病院の細胞診ではシロで胸を撫で下ろしたのですが。
辻堂で再検査して転移であることが分り2度目の手術になりました。
また入院で家に帰れないのは嫌〜と訴えてました。
この子たちにとってはそれが一番辛いんですよね。治療には耐えても。
葉月ちゃんもジャズちゃんもそうだったと思います。

ぶべはは さんのコメント...

ぶぶとべいの洋服をクリスマス前に洗っていっぱい思い出に浸っています。
こんなナイスショットを撮影してもらえたエルちゃんは幸せです。
クリスマスの想い出・・・
イヴでした。ぶぶのことですが。
デスメ膜瘤が破裂して麻薬パッチをはってもらいました。
座布団の上にぐったりしたぶぶ。
誰もが~イヴに天使のお迎えがくると思った状況でした。
他の患者様たちは重症な方は見当たらず・・・
とても混んでいたんですがクリスマスプレゼントをもらっていたんですよ。
たぶんおやつがフードのサンプルだとは思うのですが。
いや~欲しいとは思える余裕もなかったですが。
ちょっと~ぶぶにも頂戴べいがお家でお留守番してるの~
そこまでの気力はありませんでしたが。
そんな2,009年のイヴのお話でした。
写真もなくって。
麻薬パッチで痛みから解放されて麻酔無しで目の奥を洗われて・・・
それから年が明けて2,010年3月11日まで頑張りました。
そのひがべいが一番になった日でしたが。
べいも良く介護の手伝い(邪魔)をしてくれました。
今日のバックミュージックは男と女「稲垣潤一」と誰か・・・かな。
がんがんです。

イエロードッグ さんのコメント...

>ぶべははさん

我が家では二人とも今年は新しい服をけっこう買いました。
エルと歩いた記憶のない服がだんだん増えて行く。
残されてまだ生きているのってこういうこと?と寂しくなります。
もう着ない、あるいは入らなくなった(笑)古い服も処分しました。
でもエルの服は大事に大事に保管しています。
玄関のクロゼットにはまだハーネスとレインコートがかかっていて、
リードとカラーも最後の散歩の日のまま置いてあります。
エルが「ただいま!」と帰って来ることはないと分っていても。

デスメ膜瘤は初めて聞きました。
目が出てる犬種で発症しやすいようですね。
目のトラブルは辛いです。
ぶぶちゃんは何が起ったか分らずきっと怖かったんだと思います。
ぶべははさんが傍にいてくれてるのがどんなにありがたかったか。
べいちゃんもお手伝い?してくれたんですね。

この写真の2週間後の治療時、鼠蹊部に痼りが見つかります。
ラウンジで細胞診の結果を待ってる間、窓の外の景色が灰色でした。
曇り空だったのですが世界中が色を失ったような気がしました。
結果はシロ。
よかったね!と喜び合って新年を迎えたのですが誤診でした。
辻堂の主治医に見せたら顔色が変わりすぐ細胞診して転移が判明。
再手術になりました。
1回目と3回目の手術も冬でした。
この時期は重苦しい切羽詰まった気持ちでいた記憶があります。